緊急事態宣言が再び発令され、成人式を中止する自治体が相次ぐ中、晴天に恵まれた10日と11日、複数の自治体が新型コロナウイルスに対する感染防止対策を徹底した上で成人式を開催した。
23区では杉並区が11日に開催。西多摩地域では、瑞穂町が10日、福生市が11日に成人式を行い、多摩地域では他に、昭島市、国立市、武蔵村山市、稲城市が11日に開催した。
成人式の中止を決めた自治体では、自宅に記念品を贈呈したり、首長や恩師によるお祝いのメッセージ動画の配信などを実施するなどして対応。檜原村に関しては、3月7日(日)に代替行事を行うことが決定されている。
瑞穂町の成人式
瑞穂町は10日、箱根ヶ崎の「瑞穂ビューパーク・スカイホール」で実施。こいたま編集部も関係者として式典に参加することになった。
町は「人生に一度きりの晴れ舞台を祝ってあげたい」という思いで開催を決断。感染防止対策を徹底した上で行われた。
会場は高い丘の上にあるため、着物で歩いてたどり着くにはやや大変な場所にある。車で来場する親子連れが多く、午前9時30分すぎには、色とりどりの晴れ着やスーツ姿の新成人たちが会場に足早に入っていく様子が見られた。
「瑞穂ビューパーク・スカイホール」入り口前の広場から見える秋空のうろこ雲
多くの自治体が式典の回数を数回に分割する中で、瑞穂町では回数を分けず、例年より開催時間を短縮し、会場では3密(密閉、密集、密接)回避のため新成人が1席置きに着席した。
来賓を例年の半分以下に、親族の参加も各家庭1人までと制限。消毒や検温だけでなく、式典前後の会食は控えるよう呼び掛けた。
式典の二部では、実行委員会製作による中学時代の懐かしい映像と恩師によるビデオメッセージが流れ、会場内は懐かしい思いを心の中で共有し合っていた。
コロナ以前の運動会の映像で、一致団結して頑張っている生徒たちの映像が流れたとき、映像とはまったく関係ない大人が思わず感極まってしまった。
会場外では、晴れ着やスーツ姿の新成人たちが旧友との再会を喜んだり、マスク着用の上、記念撮影をしたりしていた。特に大きな混乱もなく、新成人が騒ぎ立てるわけでもなく、無事に式典は終了した。
開催を決めた成人式について思うこと
多くの自治体が開催を中止する中、開催を決断した自治体について賛否両論あるのは否めない。新型コロナウイルス感染防止対策を徹底したとしても、やはり人が集まる場であることに変わりはなく、100%安全な対策などあり得ないからだ。
開催を決定しても、式自体は強制的なものであってはならないし、参加も自由を尊重してほしい。開催が決定しても、都の自粛呼びかけを徹底して守った若者たちの声も配慮してほしいと思った。
また、すぐ隣の街では開催するのに、こちらは開催しないという自治体間格差がでているのも不平不満の元になるのではないかと。難しいかもしれないが、国策レベルで開催の有無を統一してほしいと個人的には思った次第だ。
全然話は変わるが、西多摩のとある自治体に住んでいたこいたま編集部の1人、成人式当日は記録的な大雪が降り、道路一面雪に覆い尽くされてしまった。
会場は車じゃないとたどり着かない場所にあった上に、振り袖を着て行けるような場所ではない。成人式自体は中止とならなかったが、出席は泣く泣く断念。式典の時間帯は道路の雪かきをして過ごすこととなった。
今思えば、スキーウェアを着用し、スノーブーツを履いてでも出席すればよかったなと、後から死ぬほど後悔したものだ。
大雪だろうと、なんとしてでも開催を決行してくれたのに、出席しなかったことで、旧友たちは小中学校のときの面影で記憶は途絶えたままだ。”後悔先に立たず”とはこういうことを指すのか。
今回の瑞穂町の式典に参加して思ったことは、人生に一度きりの大切な一日を祝ってあげたいという思いというか、気合というか、並々ならぬ大人の熱すぎる思いがひしひしと感じられた式典だった。
映像などの準備にも相当な時間をかけて製作されていたし、感染症対策も神経質になるほど徹底して行われていた。主催者側も、密にならないよう、すみやかに帰るよう徹底して呼びかけていた。
個人的な意見になってしまうが、思い切って開催を決断した自治体には敬意を表したい。なぜなら、私自身が成人式に対する後悔があり、新成人たちのマスクの上から見える2つの瞳がとても輝いていたからだ。
ただ、開催したことが正しいわけでもないし、中止となったからって人生がダメになるわけでもない。感情だけで動けない難しさがある悩ましい問題だ。多くの自治体が中止ではなく延期という決断があっても良かったのかもしれない。
そんな外野の意見は置いておいて、開催の決断を、新成人の皆さんはどのように受け取ったのか?それが最も重要だと思う。
式典を開催するにしても開催しないにしても、令和3年度は色んな思いが錯綜した、記憶に残る年になったことは間違いない。
来年は何事もなく、大人になった新成人をただ純粋に祝える式典が開催できることを願ってやまない。