NHK「鶴瓶の家族に乾杯」前編で奥多摩駅周辺が放送。その内容とは?

鶴瓶の家族に乾杯
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NHK総合の旅・町歩き番組「鶴瓶の家族に乾杯」(毎週月曜夜午後7時30分~8時42分)が、2021年9月13日(月)に放送された。

前半は奥多摩町氷川周辺をノープランで散策するという「ぶっつけ本番旅」。北島康介さんと笑福亭鶴瓶さんの2人が奥多摩に降り立ち、「人に出くわしそうにない町で、人に出会いたい」との思いで散策を開始した。

北島康介さんが「師匠を少しでも困らせてみたい」という思いで向かった奥多摩。一体どんな内容が放送されたのだろうか?

※放送を見ながら書いた内容です。メモ書きのような構成ですのでご注意を

目次

旅は奥氷川神社からスタート

大雨が降りしきる中、奥氷川神社で北島康介さんと鶴瓶さんが合流。最初に「手作りギャラリー&たばこのお店」を発見する。

創業50年、お父さんの代から続けているという八百屋さん「本橋青果店」。「三河屋」の看板が店の看板のように設置してあるため、よく間違えられるという。

店主は本橋幹夫さん。鶴瓶さんが「なぜ違う店の看板を?」と聞くと「看板は昔からあるから・・」という理由だそうだ。

本橋さんは、鶴瓶さんを東京の落語の「三遊亭」と間違えるなどユーモラスなやり取りが見られ、とても温かい方という印象だった。

奥多摩駅前の釣具兼売店「みすず堂」

みすず堂

次に、奥多摩駅前に向かう。

釣具兼売店である「みすず堂」に到着。いくらなどの「つりえさ」を見て2人が立ち止まる。熊の鈴を見てさらにびっくり!

店主の川久保典彦さんは「ヤマメやいくらを付けて釣りができる」と話す。熊が出ると聞き、熊鈴を見せてもらう。

カメラのレンズが曇りながらも、ロケは続いていったのだった。

揚げたてコロッケが名物「肉は一松」

肉は一松

奥多摩駅前にある「肉は一松」を営む斎藤文一さん。昭和36年創業。コロッケや肉を販売している。息子さんは向かいの店舗で電気関係のお仕事をされているそう。

2人で揚げたてのコロッケとメンチカツをいただく。

大雨の影響でカメラが不調になってしまい、撮影を一旦中止に。後日、再び撮影に向かったという。

毎日お昼どきは弁当づくりで大忙し。中でも揚げたてアツアツのコロッケは、創業以来から続く看板メニュー。客層は観光客が多く、コロッケはとてもおいしいそうだ。

海沢に住む町民に出会う

海沢に住む町民、牧野信(あきら)さん(88)と奥多摩駅前のバス停で出会う。「古いことは覚えているけれど、新しいことはすぐ忘れちゃう」と笑顔で話す。

奥さまと2人ぐらし。奥さまは現在バスに乗って待っているという。

バス停の上のツバメの巣の中にいる子ツバメたちを見て、スズメと間違えるおちゃめな北島康介さんだった。

福祉会館ののれんにびっくり

町の福祉会館の駐車場入口前に設置してある、紐ののれんに驚く。奥には奥多摩町消防団の車が停車してあった。スズメではなく、ようやくツバメの巣と認識した2人だった。

氷川小学校の上の町民宅へ

プロパンガス屋の車両がすぐそばを通過し、こんなに細い道に車が通ることに驚く鶴瓶さん。

プロパンガスの仕事をしている中西貞男さん。現在子どもは独立し、奥さまと2人暮らし。奥さまとは地元同士で知り合う。中央区から移住し75年。「まだ赤ん坊のころ、戦争中に親と疎開してきて、そのまま奥多摩に住み着いた」と話す。

北島康介さんと出会い、「水泳選手の方?本物は若いね!」と。鶴瓶さんは残念ながらスルーされていた笑。

家の中にいる奥さまに「サインもらうから持ってこいよ」と叫ぶ。撮影中にも関わらず、記念撮影を試みる。鶴瓶さんが奥多摩に来た理由を聞こうとしていたが、聞けなかった・・。

帰国したばかりの元警察官と出会う

ここからは鶴瓶さんと北島さんと別行動に。

青梅街道沿いで待ち合わせをしたのか?

南米パラグアイで警察の仕事をし、日本に22年ぶりに帰国したいう勝山泰知さん(56)。今は定年退職し、奥多摩で働いているという。

パラグアイに行ったときは35歳。南米で「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていたという。1992年に結婚。奥さまはパラグアイ育ちの日系二世。現在パラグアイ在住の奥さまは、新型コロナの死亡者が多いため外に出ていないという。

柔道や空手の経験があり、眞子さまを護衛した経験がある勝山さん。黒づくめの服装で警戒をしていた鶴瓶さんだが、警察時代の写真を見て「嘘かと思っていたから、写真を見てようやく安心した」と安堵した様子だった。

外国人観光客に出会う

北島さんは、奥氷川神社付近で歩いていた実習生2人に出会い話しかける。番組では外国人の方によく遭遇するそうだ。

わさびポーク丼を食す

わさび田

清流が石垣の間から流れ、100年くらい前からあるわさび田でNHKスタッフらと待ち合わせ。登場したのは、奥多摩在住でわさび農家である「わさびブラザーズ」の角井仁さん・竜也さん兄弟、大志田百さんの3人だ。

ワサビ田でお肉を焼く兄弟。強い辛味がありほんのり甘みがある奥多摩産のわさびとその場で焼いた豚肉をご飯の上に乗せた「わさびポーク丼」を食す。

仁さんは「今わさびを作っている人たちは70代。その人たちがいなくなると奥多摩のわさびを作る人がいなくなってしまう。これからは兄弟で伝えていきたい。もっとおいしいというイメージを持ってもらいたい」と語る。

自分たちが作ったわさびを多くの人に食べてもらいたいという思いで、キッチンカーを開始。

竜也さんは「わさびを世界中の人に知ってもらうため、これからもわさびを作り続けていきたい」と話していた。

木村さんちに到着したが

駅前を散策中に「向かいのお屋敷のような建物は何か?」と、聞く康介さん。

お屋敷のような建物向かいの店で配達業務を行っている恩田雅一さんに聞いてみたが、「店の中の人に聞いてみて」と言われる。

店頭に立っていた佐藤美奈子さんに聞いてみると「もともとは呉服屋さん。平日はいないと思うますよ」と。

「こちらのお店は古いんですか?」と聞くと、先代、先々代から経営しているという。今はご主人がいらっしゃらなかった。

柳小路のビアカフェ「バテレ」

奥多摩駅前「柳小路」沿いに佇む古民家カフェ「Beer Cafe VERTERE(ビアカフェ バテレ)」に入ってみる鶴瓶さん。中に入ってみると、スタッフの植木京(けい)さんが入り口から登場する。

鶴瓶さんが「醸造所は休みですか?」と植木さんに聞くと「はい」と回答。ビールの醸造所も平日はお休みという。植木さんは「このカフェは社長と醸造長の2人で始めた」と話す。社長やスタッフの方にプライベートなことまで色々と聞く鶴瓶さんだった。

植木さんはビアカフェの店員で、広報や写真、デザインを担当しているそうだ。

酒店兼コンビニ「佐藤商店」

子どもと剣道を行っているという佐藤彰さん。18、15、12歳(全員男の子)のお父さん。一時期サラリーマンとして働いていた。生まれも育ちも奥多摩だという。

サラリーマンで営業職で働いていたときに、事務員だった奥さま(茨城県出身)と出会う。

康介さん「奥多摩は子どもたちにいい環境ですか?」と聞くと、「小学校は50人程度、一クラス10人程度で、とても細かく指導してもらうところが良い」と話す。

彰さんは「最近、キャンパーなど観光客を中心にいろんな人が訪れてくれる」と話す。

美奈子さんは「毎週来てくれる人もいるし、酒を毎回買いに来てくださるリピーターさんがいて、帰りに空き缶などのゴミを持ってきてくれる。来るときは『ただいま』と言って戻ってきてくれる」と話す。

テントにはタヌキが入ってきたり、ダムの方にはサルがよく出没するという。

鶴瓶さん、必ず出会える場所へ向かう

奥多摩温泉郷 国民宿舎「観光荘」へ。鶴瓶さんが入り口から入り「こんにちは!」と連呼すると、中から女性スタッフの方が出てきた。

出迎えてくれたのは、店主の奥様である杉村道子さん。昭和36年に町がはじめ、すでに60年ほど。個人で初めてからは旦那さんのお父さんが経営。「コロナの影響で客がとても減ってしまった」という。「今日はお客さんがゼロ」と肩を落とす。

ご主人は、店主の杉村秀(ひでし)さん。

秀さんが再び宿を始めた経緯を説明。「もともとは町で経営していたが、お客さんが少なくなってしまった。私の父が町に勤めていたから、役場の職員をやめて旅館の経営をやらないかと言われて始めた」と話す。

「景気のいい時代に当たってきたなと。その頃はサラリーマンで調理師学校に通いながら、父と旅館を共に始めた」という。

調理師学校で出会った道子さんと出会い、奥多摩の地で共に経営を始めたという。

「縁があって奥多摩に来た」と話す道子さん。お子さんは男と女2人ずつ。今は家族経営で一緒に働いているという。

「若い人の意見は、私たちが考えられないことばかり。ウェブ予約を行ってくれたりと、私たちだけでは到底できない」とうれしそうに話していた。

近所に子どもたちが住んでおり、孫が2人いるそう。道子さんは「孫はかわいいね」と話す。上が18歳の男の子、下が16歳の女の子だそうだ。

道子さんは「孫たちは旅館を継ぐことを考えているそう」と、うれしそうに話していた。

南氷川食飯へ

康介さんは、50〜60年前から営業する「南氷川食飯」へ。店主は小峰第二(だいじ)さん。「奥多摩は自然がたくさんあり静かでよい」と話す。

「この道路をまっすぐ行くと、山梨につながる。この先はあまり店はないなぁと。車で20分ほど走れば、奥多摩の観光名所である奥多摩湖に着くよ」と教えてくれた。

映像が切り替わり、木村さん宅に再び向かう鶴瓶さん。

道を歩いていた森川むつ江さんに「昔一番のお大臣。普段閉まっている門が今日は開いているから、向かいの人に聞いてみるといいかも」と話す。先ほど、康介さんが訪ねてきたと聞き、がっかりした様子。

康介さん、奥多摩湖に向かおうとするも、さて、どうするか?

2人とも気になっていたお屋敷

後日、気になって行ったお屋敷に住むのは、木村康雄さん、京子さん夫妻。初代奥多摩町町長である木村源兵衛さんが先祖。外から見えていた蔵は、食器類を収納しておくためだそう。寛政4年、江戸時代の食器類が多数収納してあった。

「こちらの金庫。うちでは持て余しているので、康介さん、メダル入れなどにいかがでしょうか?」とプレゼントしたい様子だった。

スタジオで放送を見た康介さんは「お会いできなくて残念、次回奥多摩に来たときは必ずお伺いします」と話していた。

次回の後編は、9月27日(月)19時30分から放送予定。奥多摩湖周辺や峰谷地区あたりに行くようだ。

ラストは皆さん、涙を流して喜ぶという。こうご期待!

鶴瓶の家族に乾杯

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